PAPASU

3児の父。物は少量。

35歳。もう走ることはできない。

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2018年の干支は『犬』。

2019年の干支は『猪』で僕は36歳になる。

 

今の長男と同じ小学校3年生の時には、自分が35歳になって3人の子どもの父になるなんて考えもしなかった。

 

担任の先生に

「何歳からおじさんになると思う?」

と質問されて

「ハタチ!!」

と大きな声で答えていたことを思い出す。

 

そんな僕も3回目の年男を迎える。

当時、例の質問をした先生の年齢を何年か前に通り過ぎた。

 

35歳と言えば、プロのサッカー選手では代表どころか現役すら引退している人がほとんどで、身体的な衰えは感じる節目になる。

 

30歳になるまでは、そこまで考えることはなかった。

しかし、衰えは見て見ぬフリをしていても、老いは日々現実にリアルに着実にすすんでいた。

 

僕にとって最初で最後になったフルマラソンを走ったのは、ちょうど30歳になった年だった。

 

号砲と共に快調に走る。はやる気持ちを抑え、出来るだけスピードを抑えて半分を2時間弱で走る。

 

残り10キロの辛さはたくさんの人に聞いてきた。このまま走りきれば4時間を切れるようにと前半は我慢して、あえてペースを抑えたのだ。

 

しかし、それは突然やってきた。

 

どうしようもない激痛が右膝をおそう。

 

最初はじわじわと痛みだし、やばいなぁ、やばいなぁと思い走っていた。

 

出来るだけ負担がかからないように、着地を柔らかくフォームも一番痛くないように改善して走った。

 

しかし、30キロ地点で走れないほどの激痛になる。

 

このまま走れば4時間以内で走り切れた(サブ4)。しかし、残り10キロを激痛の中歩くことになった。

 

思えば幼稚園から小学校、中学校にかけてかけっこで負けたことはなかった。

 

サッカー部の試合でも、自分よりも足が早い選手にはあった事がない。

 

そんな僕がずっと右膝を引きずりながら歩いている。

 

もちろん歩けば後ろからどんどん抜かれていく。

 

ゴレンジャーの着ぐるみを着た人に抜かれ、ハツラツしたポニーテールの女子に抜かれ、僕よりも(だいぶ)年配のおじさん、おばさんにも「がんばれー」なんて言われながら抜かれていく。

 

痛みに耐えて歯を食いしばり、少し走って見る。

 

しかし右膝の激痛は少しの振動も許してくれない。少し触るだけで電気が「バンッ」と走る電気ビリビリゲームのようだ。

 

歯を食いしばって歩いた10キロ。

最初で最後のマラソンの記録は4時間52分だった。

 

あの初マラソン以降、僕の右膝は5キロ以上走ることを許してはくれない。

 

それ以上走ろうとすると、すぐにあの「バンッ」という痛みがやってくる。

 

大学病院で検査(レントゲンや骨シンチ)しても「異常なし」という診断がおりた。

 

無理に走らなければ生活に支障はないので、様子観察でという判断だ。

 

悔しくてランニング雑誌をたくさん読んで、膝に負担がかからない走り方を調べた。

そこで見つけたベアフットランニング(裸足ランニング)もした。

それでも僕の膝は今でも5キロ以上のランニングに耐える事ができない。

 

しかし、その試行錯誤のおかげで長い時間山を歩くことが得意なことに気づいた。

 

何時間も山を歩く。時には1日で数万歩歩くこともある。

 

一緒にいく友人たちの膝や足首が腫れても僕の脚は全く問題なし。

 

膝に負担がかからない歩き方をあの10キロから学んだ。

 

ドタドタ関節を使って歩くのではなく筋肉を使って歩く。

 

筋肉を使えば疲れるかもしれないが、膝や足首の関節は血流がもともと少なく自己治癒力が極端に少ない。

 

関節は治りにくく、筋肉は治りやすい。

 

僕は走ることはできない。しかし、これからも歩き続ける。